松田:もちろんその後のシーンにもいちいちグッとくる描写はあったよ。三角のトンネルを抜けて大叔父さんのヘブンに行くところもさ…あの大叔父さんって、はやい話が本ばっか読んでて変になった人でしょ?
なつき:そうだね。
松田:きっと本ばっか読んでるうちに、ペリカンがあの可愛いやつを食うような、汚くて受け入れ難い矛盾のある世界を認められなくなってん。
なつき:はいはい。
松田:ほんで理想によって漂白された世界に行って、そこからついに戻って来られなくなった存在が彼やと思うねん。
およそ他人事ではない
なつき:うんうん。
松田:その世界っていうのは…それこそトンネルを抜けた先の世界はぼやっとしたふうに描かれるし、インコの家来が「まじヘブンじゃん」って言っていたみたいに、観念的でパーフェクトな、でもリアリティのない世界やねん。その奥に大叔父さんはいて、石を積んで世界を作ってる…と思っている。
恥をかけ、振られろ、馬鹿にされろ、汗をかけ、泣け、こけろ、そこにしか人生はないです。
なつき:うんうん。
松田:でも大叔父さんのその世界は今にも崩壊しそうになっている。観念の世界の限界はそこで、一見するとパーフェクトに見えても実際にはすごく脆弱やねん。なによりそこでは自分一人だけ、誰とも何も共有できない。まひと君が執着していたエゴも大叔父さんが守り通そうとした世界も同じやねん。
なつき:はいはい。
松田:そしてまひとくんは最後、その石を積むことを拒否するわけやん。そこで世界は崩壊して、嵐が吹き荒ぶ中で各々が各々の扉から世界に戻っていく…ここで最後の大感動が待ってるねん。お母さんの幼いころみたいな女の子おったやん、あの子が扉から元の世界に戻っていこうとするとき、まひとくんは「病院の火事で焼け死んじゃうよ? 」みたいに言うたやん。
なつき:はいはい。
松田:でもな…それが人生やん、分かるやろ。結局のところ人はいつか死ぬために生きているんだし、でもそのことで人生の意義が損なわれることはないねん。
なつき:なるほどね。
松田:しかもお母さん、「いいじゃないかだってまひとを産むんだから」とも言うてたやん。あれもええよね、自分という個体が死んだ後の種にコミットできるっていうのはいかにも人間らしいよ。
なつき:そう考えるとあのシーンはすごく説得力があったな。そんな言葉で救われないだろとも思ったけど、でもそれをまとめきるくらいのものがあった。
松田:まるで躊躇を感じさせない、あのカラッとした感じよね。しかもまひとくんの側では、あのシーンまでにほぼ既に仕上がりきっていたとはいえ、やはり正直なところ元の世界に戻っても死んじゃうんだぜっていう、そういう一抹の不安があったわけやん。
なつき:うんうん。
松田:その迷いを払拭しきる、お母さんのあっけらかんとしたスタンス、あれも本当によかった。人生を全面的な肯定のもとに納得して、元の世界に戻っていくあの感じ。
This is the time you will be asked to choose between the “Everlasting No” and the “Everlasting Yea.” This choosing is what Confucius means by “study”; it is not studying the classics, but deeply delving into the mysteries of life.
Normallly, the outcome of the struggle is the “Everlasting Yea,” or “Let thy will be done”; for life is after all a form of affirmation, however negatively it might be conceived by the pessimists.
D.T. Suzuki『Zen Buddhism』Harmony
D.T. Suzuki『Zen Buddhism』Harmony
なつき:なるほど。
松田:あとはまあどこまで積極的に解釈するかって話はあるけれど、元の世界に戻っていくときインコめっちゃ糞するやろ。あの感じとかも、観念的に漂白されたのではない、灰頭土面の現実世界に戻ってきたことがはっきり分かるよね。
なつき:うんうん。
松田:ほんでほんまに最後のシーン、既に赤ちゃんが生まれていて「まひと行くよ」って一階から声かけられるやろ。それに対するまひとの返事って、一番最初と比べてすごく血が通っている感じがあったと思うねんな。
なつき:うんうん。
松田:それに新しくできた弟、あれがいい塩梅に恬淡無礙というか、カラッとしてるやん。あれがお母さんとかお父さんに妙に似てたらもやもやもするねんけど、あの表情からはまひとくんがそこへの執着を持っていないことを端的に示しているようでいいなって。
なつき:はいはい。
松田:なんしか映画を通して、原作の趣旨っていうのはとてもよく描かれていると思う。ジブリでこそ可能な自由さでもって、縦横無尽にテーマを表現している感じがあってよかった。超感動した。
なつき:でも…確かに思い出したけど、大叔父さんが積み木を積んでるシーン、あの積み木ってめっちゃ綺麗だったじゃん?
松田:そうそう。
なつき:でもあんなのいつまでも積めるわけないじゃんね。し…まあもう一回観ます笑
松田:おれも一回目に観たときはスッと入らんかったというか、原作の本のイメージを持ったまま観始めるから映画のバイブスに切り替えるのが遅れる感じはあってんな。
なつき:ああ、そうそう。
松田:やっぱり2回目に観て初めて大感動できたみたいなところはある。あとは自分としては非常によくメイクセンスしたんだけど…実際こういうことを考える人ってほとんどいないと思うねん。ほとんどの場合、あれはただのファンタジー以上のものではないと思う。
なつき:まあそうだよね。
松田:なんだけど例えば…彼女の職場の同僚ですごくあれな子がおるねん。鬼滅の映画10回観てて、選挙行ったことなくて、知り合いのおばさんから営業された保険に入ってる感じの。
なつき:はいはい。
松田:でもその子もこの映画がすごく楽しかったって言うてたらしいねん。「まひとくん最初馴染めてなかったけど、最後はアオサギとちゃんと仲良くなれたし」みたいな。
なつき:おれもわりとそっち側だった笑
あれななつき
松田:誰にでも楽しめるようにできているのはやっぱりすごいよ。普通にめっちゃ話題やし…やっぱこうじゃないとなって。その辺もすごくよかったな。
なつき:まあでもなんか…彼が受け入れた世界ってそこまで悲劇ではないよなっていうかさ。
松田:うん?
なつき:悲劇ではないというか…階級的な話をするとわりといいところにいるじゃん?
松田:ああ、確かに裕福やんね。
なつき:そうそう。本人としてはしんどいところはあるんだろうけど、別に裕福だし、その状況を受け入れるのって比較的簡単じゃね? って。
松田:いや…まあ言いたいことは分かるけどな、北朝鮮の農家に生まれても皇族に生まれても苦労はあるよ。人生やもん。
なつき:うーん…
松田:相対的にイージーな環境やから周り見て我慢しとけって、それは違うよ。
落ち込んだときはガザの報道映像見てんのかって話です
なつき:でも原作だとさ、コペル君は普通の庶民だったじゃん。
松田:全然ちゃうがな、どこ見てたらそうなるねん。
なつき:おじさんだけじゃないの?
松田:おじさんに窘められてたの覚えてへん? 「君はこの間の避暑で駅を離れてすぐアイスが食べたいどうのと言っていたけれど、あの車窓から見えていた田んぼでは…」みたいな。
なつき:あ、なるほど。
松田:まあコペル君がややハイソなんはな、実際のところ癪には触るで。なんか相対的に貧乏な友達の家でたい焼きをいただくシーンがあるねんけど「コペル君のお母さんはこんな粗末なお菓子はお腹を壊すと言って出してくれません」とかあるねん。あほやろ、たい焼きで腹壊すわけないねん。
なつき:たい焼きってむしろハイソかと思ってた。
松田:なんでやねん、鯛を模してるメンタリティからしてハイエンドでないのは分かろうよ。でもさ、じゃあ何食ってんねんって話やん?
本来は容易に手に入らないはずの価値を期待させることで売ろうとしているものの例としては、鯛の形をした今川焼きの他に、自販機で買えるプレミアムコーヒーや、知性・品位・清潔感を大切にしていると謳うFOXEYなどがあります。でも結局たい焼きは鯛じゃないし、自販機に美味しいコーヒーはないし、FOXEYを着ても馬鹿で卑しく埃っぽいままなのです。
なつき:ほんとだね。
松田:和菓子屋のケースの中にある生菓子みたいなあれなんかな。あれ高いし見た目も神経質やし、おれはあんま好きじゃないで。
松田:あとこれは映画の内容とは直接は関係ないねんけどさ、その内容にだいぶしっくりきたとはいえ、映画の中で描かれているあらゆるディテールや物語の装置をメイクセンスしているわけではないねん。まあ当たり前やし、別にそれでいいと思うねん。
なつき:うんうん。
松田:例えばどうしてこんな言い回しだったのかみたいな、そういう瑣末な考察をしたがる勢力っておるやん? ああいうのまじでどうでもいいというかさ。
なつき:はいはい。
松田:そもそも作品として一度アウトプットされた以上、それは製作者の当初の意図を超えて広がっていく、これはもう当たり前やん。そういう意味ではこちらに自由があるわけ。自分にとって何がどういう意味を持つかは自分で決めたらいいやん。
なつき:うん。
松田:にも関わらずある種の正解というか、正しい理解の仕方が存在するという想定のもとでそれを当てにいくみたいな発想って不健全やん。こんなんもう当たり前やん。
なつき:なるほどね。
松田:だからなんやろう…あるんかも分からん暗闇の中の的を外すことを恐れて何も投げられない、つまり無謬性への執着のあまり自分の言葉で消化しようとしないのってどうなんって。
なつき:確かに、誤読というかね。
松田:そう。まずは誤読の自由がこちらにはあると言えるし、そもそも誤読というときに想定されている正解に果たして意味があるのかって話。どんな読み方であれ、読んだ人の明日が今日より良くなるのであればそれでいいという話はあるやん。
なつき:うんうん。
松田:それ以外にも、瑣末な譲歩によってディテールが決定されることなんてままあるわけで、あらゆるディテールに精緻な意図が込められているっていう見方はシンプルに事実じゃないよね。なんかそういうことを思っていた。
うちのシンクのスポンジ置きがマイメロであることなど
なつき:ちょっと文字の方の『君たちはどう生きるか』もちゃんと読むわ。彼女が描く人だからさ、最初はすごくアニメーションの話をしていて。
松田:あ、なるほどね。彼女と観に行ったら感想とか話すん?
なつき:話すし、彼女の方がちゃんとした感想を持っている。こっちはファンタジーがよかったね、くらいにしか思ってなかったんだけど。
松田:なんかさ…これはおもろ話な。ずっと前、彼女と付き合って初めの頃に一緒に映画を観に行ったことがあってん。それでさ、別にそれを観てどう思ったとか、そんなん内心の話やから必ずしも他人と共有せんでええと思うねん。
なつき:まあまあ。
松田:…という思想に基づいて映画を観終わってからまじで一言も感想を話さなかったら、なんかめっちゃ怒り出して。
なつき:笑
『貧乏家族』って言い間違えたのもよくなかった
松田:一緒に観に行った意味がないやん、みたいな。まあ分からんでもないけど、それ別に君の権利とはちゃうしなとか思いながら聞いてて。
なつき:まあね笑
松田:ほんで「宇宙人と付き合ってるみたい」とか言うねん。それで思い出してんけど、東大の保健センターでスペクトラム指数50点満点を叩き出したときに大量に読んだ発達障害に関する本の中で、定型発達から見るとお前らは宇宙人のように見えているって書いてて。
なつき:笑
松田:「あ、まじでそう思ってんねや」って思ったよね。ただよく考えるとさ、おれが宇宙人で相手が地球人なのは多数決の問題であって、おれからしたら彼女の方がだいぶ宇宙人やし…とか思いながらばり謝ったわ。それ以降はちゃんと感想言うようにしてるねん、令和のまひと君と呼んでくれ。
なつき:定型発達にちゃんと合わせてるんだね。
松田:でもさ、逆に今みたいな熱量で思ったこと全部開陳してもよくないやろ。難しいよな。
なつき:言うておれも今の話…まあ分かるっちゃ分かるけど、でもそこまでよく分かってはないからね笑
松田:まじ?
2023年8月5日
喫茶室ルノアール 西日暮里第一店