鴻野:これ…初めは親子の話をしてたやん? 今の話って親子では期待できひんのかな。つまり親は一世代かけてコミットしているわけやん、それを子供の世代は受け取って…
松田:で、自分の子供にコミットするんじゃない?
鴻野:子供にコミットするんか、まあそうか。
松田:自分は子供には同様にコミットするし、その子供から何かしらが返ってくることは期待しないよ。
鴻野:まあね、それはそうやな。でも僕の妻は…娘は実家に帰ってきてくれるから娘が欲しいとか言うで笑
松田:ああ…なるほどな、まあその辺は分からん。なんかうちの彼女も実家にはめっちゃ帰ってるわ。
鴻野:一緒に帰ったりするん?
松田:せんよ笑
鴻野:相手の両親に会ったことはあるん?
松田:それはあるよ。あとは以前、おばあちゃんがいつ亡くなるか分からんから顔を見せておきたいって言われたこともあるな。
鴻野:おお。
松田:そのときは…前提としてあなたの両親も祖父母もまじで他人でしかないが、あなたがそれを望む限りにおいて、あなたの希望としては尊重できるし会ってもいい。ただ、自分があなたと同じ感情で相手と付き合うことは期待しないでほしいと、それを伝えた上で会ったことはある。
鴻野:それな…思うんやけどさ、彼女さんは松田の両親に会わんでいいん? 松田が会わんでいいと思ってるから?
松田:おれは会わんでいいと思ってる、だからあとは彼女の問題やな。まあ会いたかったら連絡先教えるから勝手にやってくれとは…
鴻野:いやそうじゃなくて、彼女は彼女の家族を大事にしているわけやん、それ同じレベルで大事にせなあかんように思わへん?
松田:おれが…誰を?
鴻野:松田が、彼女の家族を。
松田:いや全く。
鴻野:なるほどそうか、でもここむずかしない? 僕はそうじゃないと思うねん、まあ僕もできてはないねんけどな。
松田:あ、できてはないねんな笑
鴻野:そう。なんやけど、せなあかんと思ってるねん。妻が自分の親を大事にしているんやとしたらさ…つまり例えば、妻の両親がめっちゃ貧しくなって、それで妻はめっちゃ悲しんでるとするやん。それ松田さんは嫌じゃないん?
松田:えっと…まずおれは悲しくない。おれがその事実を悲しく思うかというとそうではないが、ただ彼女が悲しいことは自分にとっても問題やで。
鴻野:問題なんや。
松田:うん。
鴻野:そうね、まあそうとも言える…言えるのか。でも松田さんの考えやと、自分も彼女に対して、彼女自身と同じレベルのコミットメントをせなあかんねやろ?
松田:うん。
鴻野:じゃあ結局やることは一緒なんか。
松田:そう。だからその状況を解消するために彼女が家族カードを切りたいのであれば、それはぜひしてくれという話やな。
それだけの与信があるとしてな
鴻野:ああ…だから僕は人格が同一化しているみたいな話になっちゃってるんやろうけど。
松田:はいはい。
鴻野:でも、ほんまはそうじゃないはずやねん。妻が悲しいのであれば同様に自分も悲しいという言い方をすることもできると思うねん。
松田:なるほど…まあなるほどな。
鴻野:ただ、そうじゃなくても全く問題はないような気もする
松田:その辺についてはあれやな、大事なのは何を思っているのかではなく、何をするかだよねという気持ちでおるわ。
鴻野:まあそれはな、それはそうやねんけど…
価値が曖昧であり、われわれの考えている明確な具体的な場合にたいしてどうしても広況にすぎるなら、われわれには自分の本能を頼するほかに道はない。この青年がしようと試みたのはまさにそれで、私が会ったときに彼はこういっていた。「けっきょく、大切なのは感情です。私は自分を本当にある方向へ駆りたてるものを選ぶべきでしょう。もし私がほかのすべてー私の復讐心、私の行動欲、私の冒険心ーを犠牲にするに足るほど母を愛していると感じたら、私は母のもとにとどまります。もし反対に、母への愛情が充分でないと感じたら私は出発します」と。しかしある感情の価値をどうして決定するのか。母にたいする彼の感情の価値は何が与えるのか。それは彼が母のために残るという、まさにその事実なのである。「僕はこれこれの金額を犠牲にするほどにある友達を愛している」と私はいいうる。しかしそういいうるのは、事実その行為をした場合のことである。私が母のそばに残ったとき、はじめて私は「母のそばに残るほどに母を愛している」ということができる。私がこの愛情の価値を決定しうるのは、まさに、この愛情を確認し限定する一つの行為をしたときである。ところが私は、自分の行為を正当化することをこの愛情に求めるのであるから、私は循環論のなかにまきこまれることになる。
J-P・サルトル『実存主義とは何か』人文書院
松田:そもそもな、自分の実感としてはまず悲しくないもん。何よりも初めにある確信として、自分は全然悲しくない。すまんが。
鴻野:うーん…いやそう、それはそうやねん。そこが難しい。つまりこれ、行動において内心は大事なのか大事じゃないかみたいな話やん。
松田:そう、それでおれは全然どうでもいいと思っている。
鴻野:ああそうか。
松田:こういうときに考えるのがさ、「愛してる」って言いながらDVするのは嘘つきやん?
鴻野:それはさ、愛してるって言ってるけど愛してるって思ってないやん。ほんまに愛してるんならDVしてもええんちゃう?
松田:おお…まじ? まあそういうロジックもあるか。
鴻野:うん。愛してるっていうのは、最終的には気持ちじゃなくて行動が大事なん?
松田:うん、そうやで。
鴻野:なるほどおもろい…
松田:え…でもさ、内心はいったん置くとしても、行動が大事なんは絶対そうじゃない? それが全てやん?
鴻野:今のこの話、結果無価値と行為無価値みたいな話やな笑
松田:いや知らんて。
鴻野:刑法の…いやほんまに法学部の授業何も出てへんかってんな。
松田:そらそうや、そもそもおれ法学部ちゃうねん。前期教養で退学してるんよ。
鴻野:いや、文化一類の必修受けてへんの?
松田:受けてへんから退学してるねん。
鴻野:笑 ほんまに非難に値するのは行為なのか内心なのかっていう話です。
松田:いや行為じゃね?
鴻野:まあちょっと無価値っていう言い方は分かりにくくて、行為マイナスか結果マイナスかみたいな話なんやけど…まあいいや。
松田:なんしか実際にしたことが全てじゃない? アインシュタインが実は悪魔崇拝者で、彼にしか聞こえない悪魔の声の導きで、実は世界を破滅に追いやるために数々の発見をしていたとしても、それによって彼の功績が損なわれることはないって話はあるやん。
鴻野:ああ…まあうん。
松田:おれにとっては結果が全てやから、具体的に起こることだけが大事やしそれにはコミットするが…でも彼女の両親はド他人だっておれの心は言ってるねん。
鴻野:そう、それは僕もそうやねん。その問題はあるねん、これどうしたらいいんかな。
松田:だからおれは、彼女の両親は他人だしそちらの実家になんか行かんと言っているが、別に彼女が…
鴻野:でも彼女にとっては大事な人やろ?
松田:うん、でもそのお気持ちはもうどうしようもないやん。現実には介入できるけど、気持ちには介入できないよ。お互いにね。
鴻野:ああ…なんか分かり合えんところやな。分かり合えんけど、うまく言語化できひんな。
松田:笑
鴻野:でもほんまに愛しているのならDVしてええと思ってまうのはなんなんやろう。
松田:おれな、むしろそっちの方が気になるで笑
鴻野:まあでも、愛してたらDVはせんねんけどな。
松田:あ…ちょっと待ってや、愛しているのであれば実際のところDVはしないというのは正味の話としてあるんか。じゃあさ…
鴻野:それはせえへん。でも松田さんの場合、全く愛していないけれど、愛している人と同じ行動をする人がいたらそれでもええってことやろ。
松田:そう、全然いいと思う。
鴻野:それは僕的にはない…ないな。でもこれ説明できひんな、なんでや。
松田:笑
説明以前に世界が存在することを認めないズ💫
鴻野:それさ、全く愛していないけれど、愛している人と同じ行動をする人の内心ってどんなんなん? それって幸せなん?
松田:その人の内心は知らんというか…問題ではないな。とにかく大事なのは、この世界で実際に何が起こるかやから。
鴻野:ええ…いや、大事なのは精神じゃない? ただ超極端なことを言うと、頭に電極を刺されていてもそれでいい気がしてくるな。
松田:うん。
鴻野:つまり…言ってること分かるでしょ。頭に電極を刺されて、実際には世の中は何も変わっていないけど自分と電極の先の装置との反応が全てだっていう。別に僕が今そうである可能性も、まあそうは思っていないけどあるわけやん。
松田:まあ仮定はできるよな。
鴻野:そう…であっても内心が大事かと言われると、それは言えないな。やばいな笑
松田:だって愛しているって、それはつまり愛している行動をすることと不可分じゃないかって思うやん。
鴻野:いや…まあうん。じゃあ我々が実際には電極を刺されている頭やとするやん、だとしたら自分という存在に価値はないってことやんな。
松田:そらそうや、全くないでしょ。
鴻野:まあまあ、それはそんな気もする。そんな気もするな。
松田:笑
鴻野:これあれなんかな、僕の学がないせいでこんなことなってるんかな。
松田:そういう無理筋の謙遜やめてくれ笑
鴻野:この問題、なんかいい本ないん?
松田:サルトルの『実存主義とは何か』はちょっと思い出していた。あれは…まあ鴻野にとって大事なことかは分からんが、平易で読みやすいよ。
オリジナルのタイトルは『L’existentialisme est un humanisme』
鴻野:はいはい。
松田:まあそんなたいそうなものではないで。ただきっと鴻野は法律のことばかり考えて過ごしてきたのであろうからという気持ちのもと、ようやく慎ましやかに紹介できるようなごくごく平易な内容なものと理解してほしい。
鴻野:笑 まあでも…他人じゃないねん。他人じゃないことにする義務があると僕は思うねん。
松田:はいはい。
鴻野:つまり、内心においても他人じゃないようにする義務があるように僕は思う。それはその方が妻が幸せやと思うねん。
松田:はいはい。
鴻野:ただ「その方が妻が幸せやと思う」みたいなことを言っている時点で、既に若干あやしくて。
松田:まあ思ったよ。
鴻野:それこそ今日、ビザ取りに行くのもめっちゃ面倒でさ。ビザ出すかどうかって完全に向こうの匙加減やから、めっちゃ高圧的やねん。
松田:そうなんや笑
鴻野:まあそれはそうやん。しかも別に尊敬できる政体の国でもないし。ほんまに嫌になるねんけど、でも妻のためにビザの申請も出したよ。7,750円も払って。さらにそのために日本の戸籍も取らなあかん。
大学一年生のときから新車の86に乗ってたくせに何を言うてるんかな。この日はゆりかもめ一駅分をケチって歩きよったせいで待ち合わせに大幅に遅刻したほか、以前も赤坂でのコンサートの待ち合わせの際、銀座線をケチって新橋から走ってきたせいで汗だくで現れたことがあるな?
松田:しかしその具体的な行動を見たときにさ、奥さんが鴻野の内心を疑うことってあり得るんか?
鴻野:でもビザ取るのがめっちゃ面倒で嫌っていうのはずっと言ってるで。
松田:言うてたか知らんけど、ビザ取ったやん。じゃあもう愛やん。
鴻野:でもどうせなら本当に会いたくてビザを取っているって、妻に感じさせて自分もそう感じている方がよっぽどいいんちゃうんかな。
松田:いやまあ確かにな。だがしかし、内心はシェアできないやん。例えばクッキーを買って彼女の実家に送りましたみたいな、そういう客観的な事実は唯一のそれを彼女ともシェアできるけど、内心は唯一のそれをシェアすることができひんやん。
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鴻野:まあまあ、全くその通りなんやけどな。じゃあそれってさ、ほんまに愛してはいないけど愛しているのと全く同じ行為をできればそれでいいって話でしょ?
松田:うん。てか内心において愛しているかはどうでもよくて、実際に何をしているかによってのみ愛は定義されると思っている。
鴻野:…言っている意味は分かるが、何か腑に落ちんな。
松田:法律の世界では内心とか登場すんの?
鴻野:ああ、行為無価値と結果無価値は別にそういう話ではない。だって内心は処罰しないもん。
松田:ああ、まあそうやんね。内心を処罰されたらえらいことやんね。
鴻野:ただ結果無価値論は行為無価値論に対して…そもそも無価値っていうのはドイツ語の翻訳の当時の稚拙さが現れていて、今だと半価値と訳す人もいる。で、結果無価値論が行為無価値論に対して、最終的には内心を処罰の根拠にしているとしか言えないんじゃないかと批判している。
松田:なるほどね。
なるほどね(分からん)
鴻野:そういう話で、東大系は結果無価値論で、でも行為無価値論の人も世の中にはいっぱいいる。でも…そうやんな、何を話すかとか、どんな顔をするかとかでしか見えへんわけやもんな。
松田:いやそうやねん。
鴻野:でもそれさ、ほんまに言うほど誰にでもできるんかな。そのコミットメント、今の彼女じゃない人と出会っていてもできていたと思う? 別にこんなことは言う意味がないんやけどな。
松田:言う意味がないって理解してもらえていることを前提に言うと、できると思う。
鴻野:ああ…でも、なんでそれを周りに期待してがっかりするん?
松田:これはつまり、ごく個人的な信条の実践とかではなく、そもそも人類の一員としてどう行動するべきの判断に基づく、ある種の道徳として実践してるみたいな感じやねん。
鴻野:まあそこまでのことは考えていないけど、僕もたまたまそうなっている気はするな。でもそれ人類の一員として…というかさ、別に自分のためでもないわけやん?
松田:まあまあ、でも自分は人類の部分やからな。
鴻野:じゃあそう振る舞うことで社会的厚生が増大するみたいな発想があるん?
松田:うん、それはそうやな。
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鴻野:じゃあ最終的には社会構成の最大化が松田の行動が目指すもので、そのためにパートナーとの関係を築き実践することが大事なん?
松田:うん。
鴻野:その発想は僕にはないな、ただそう考えると行為がめっちゃ大事な気はしてくる。
2024年9月30日
上野松坂屋前 バス停