青山:食事は一日で3回しか食べられないって話さ、最近まじで思ってて。
松田:はいはい。
旅行先で食事をする際、訪れるべきはその土地でもっとも典型的な人々が食べているお店以外にはないという話をしていました。そのひとつの根拠は、食事は身体的条件によって誰しもせいぜい一日3食に制限されかつ一度食べると消えてなくなってしまうため、もっとも典型的な人々によって食されるものにこそ、過去から未来にわたってのその土地の必然が反映されていると言えることです。
この点において食事は、その土地を特徴づける光景のうち、観念や資本が集約されやすいその他とは大きく異なります。
青山:古代ローマの貴族はお腹いっぱいになったら吐いてまた食べていたみたいな話の意味分からなさを思うと同時に、身体的制約がないときに味覚ってどうなるんだろうみたいな話もあると思っていて。
松田:うん、そうやんね。
ペトロニウス作・国原吉之助訳『古代ローマの諷刺小説』岩波書店
青山:一日3回、一回にせいぜい500gくらいしか食べられなくて、それもめっちゃ美味しく食べられるのって最初の三分の一くらいじゃん。そういう制約がある中で食事の美学が醸成されてきているとして…それがないとなると、それってどういうことなのかって思ってるし。
松田:ほんまにそうやんな、どうなるんやろうな。そこでいう制約がないっていうのはさ、吐きながら食べ続けるのをさらに超えた、未来のスタイルがあるかもってことやんな?
青山:まあ…それこそ最近、食系の企業からSF小説を書いてくださいみたいなことを言われていて。それで考えているところでもある。
松田:なるほどなるほど。
なるほどではない
青山:で…他にもさ、なんかチリのプラントベースドミルク会社みたいなのがめっちゃ跳ねたって話があって。
松田:はいはい。
青山:そこはプラントベースドのミルクを作って、それの味付けをAIにさせた結果、普通のミルクよりも美味しいものができたらしい。
松田:笑
青山:つまり「やっぱり本物の牛乳の方が美味しいよね」って価値観って、普通の牛乳の味が中心にあってそこからの距離でしか他の製品を評価しないっていう前提があるから、必然的に本物の牛乳が一番になるしかない議論でしかなくて…まあそうなるに決まっていて。
松田:うんうん。
青山:…なんだけど、別の客観的な評価軸を設けて評価した場合に、牛乳より美味しい牛乳のような何かが出てくることは考えられるわけで。
松田:なるほどね。
青山:みたいなケースとかを見るにつけ、前提となっている条件を無視した場合の食事について考えるのはおもしろいなって。
松田:なるほどね、なるほどな。
青山:まあ吐き続けるのは食道にも負荷がかかるからよくないけれど、食べたものが中に溜まらないようにする出口を人工的に作れたら…
嫌です
松田:確かにさ、普通に食事をしていると味覚体験を追求するはるか手前で満腹がくるやん、あれ嫌やんな。
同じ理由でお酒が趣味な人にも個人的には共感しづらい。酔うてるくせに美味いも不味いもなくない?
青山:香りとかもあるけど嗅覚もすぐに麻痺するからさ。それこそコース料理とかもさ、皿と皿の感覚を空けて、ある程度リセットした上で新しい料理に出会ってくださいという形式としてまあ理解できるじゃん。
松田:そうねそうね。
青山:…ってことを考えると、胃の容量が無限だからといって、連続した食の体験であれば別の器官が麻痺してくるんだろうなって。
松田:てか満腹にならなかったらさ、そもそも美味しいとかない説ってない?
青山:うんうん。
松田:お腹のキャパのせいで、一日のほとんどは無味無臭の空気しか食われへんわけやん。だからこそ食事のときになんかピークが立ってる感じになってるだけな気もする。
青山:うん。
松田:だって秋刀魚のわたもさ、別にいわゆる意味では美味しくないけど、楽しめるやん。もちろんアイスクリームと秋刀魚のわたなら前者の方が美味しいのは確実やねんけど、実はアイスクリームも秋刀魚のわたと同じっていう説はある。
青山:うんうん。
松田:まあそういうことを考えるにつけさ、食事を記号的に消費することが非常に筋が悪いのは間違いないよね。味覚体験ってなんかこう…サンクチュアリって感じあるもん。せっかく身体的な条件のもとで追求できる価値観やねんから。
青山:うんうん。
松田:身体的に条件付けられているがゆえの喜びというか、どこまでも相対化されないリアリティがあるやん。
青山:中学生くらいのとき、パンケーキ食べ放題みたいなのに友達と行って20枚くらい食べて。
松田:笑
青山:お腹はいっぱいになってないけど、まじで食べられなくなって。そこはやっぱりそうなんだって思った。
松田:おれは大学生のときにさ、チョコパイのファミリーパック9個入りを全部一人で食べてん。どうなるんやろうみたいに思ってんけど、まあやっぱそうなったわ。
きみら地球に来て3日目とかなん?
青山:でも味に飽きるというか、美味しいっていう欲望に駆動されて食べているフェーズが終わった後の味覚体験、真顔で食べてるっていう状態は結構重要で。
松田:美味しいとかいう気持ちは置いてきたけど、味覚の上で差分は検知できる状態やんな。
青山:そうそう。それはなんだろうな、味の構成において何が強調されているのかがはっきりと見えるようになるし、それと快楽との結びつきが既に遮断されているから…そういうのは体験としておもしろい。
松田:そうね。
青山:だから僕は結構飽きるまで食べちゃう。で、飽きてきたときに何に飽きているのかとか、何が体験として変質しているのかとか、総体として良いと思っていたのが実はそうではなかったとか、どの部分が修飾されていることで快を感じていたのかとか、そういうことが見えるようになるのがおもしろい。
フォアグラ界の『夜と霧』
松田:最近やと何に飽きた?
青山:セブンの杏仁豆腐だね。
松田:笑
青山:なんかね、食べるたびに牛乳みみたいなのがどんどん強くなっていって。
松田:なるほど、ちょっと嫌かも。
青山:そういう意味では、セブンの杏仁豆腐は変なバランスのつくりをしている気がする。本格系の杏仁豆腐ってめっちゃ脂っこい感じなんだけど、そうじゃないジェネラルな杏仁豆腐はほぼ牛乳寒天に寄っていくっていうグラデーションの中で、セブンの杏仁豆腐は食体験としてはつるっとしたものになっているが、意外と牛乳の濃さが残っていて。
松田:なるほどね。
青山:し、一般的にさっぱり系の杏仁豆腐は同時に杏仁の香りも薄まっていく気がするが、セブンの杏仁豆腐はそうではない。
松田:なるほどな。
青山:…ちょっとこれ何の話してるのか分からないな笑
松田:てか杏仁豆腐好きなんやね。おれさ、杏仁豆腐は中華料理屋の錬金術だって根拠なく言ってるねんけどさ、そこ実際はどうなん? 実はちゃんと作ったら金かかったりするん?
青山:いやどうなんだろうね。
松田:そこは食べ専か。
青山:でもやっぱり錬金術な気もする。こだわった結果コストがかかりそうなのって杏仁の部分でしかないし、他でこだわるってなるとパラメーターをどう設定するかであって、試行回数とその結果生まれたレシピに聖なるものは宿りそうだけど、原価厨的な話をすると高くはならなそう。
松田:まあでもそうか、試行を重ねることに意味はあるんやな。それを聞くと、今後はカヌレと同等程度のリスペクトは払えそうな気がしてきた。
2024年10月11日
Aux Bacchanales 紀尾井町