松田:なつきくんあれやね、『君たちはどう生きるか』観に行ったそうやね。
なつき:ああ、行った行った。
松田:おれも行ったで、なんやったら2回誘われて2回観たもん。
なつき:気合い入ってるね。
松田:で、どうやった?
なつき:うーん…なんか説教されるかと思ったら骨太ファンタジーが見られて非常に感動したし、「ジブリっていいな」って思った。
松田:あ、なるほど?
感想や説明を含むいかなる言語化においても重要なのは、それによって同種の別のものとの相違を指摘すること、あるいは別種の何かとの相似を指摘することです。同種の別のものにも当てはまる感想が許されるのは小学生まで。
なつき:教訓めいたことは何も思わなかったですね。
松田:なるほど。
なつき:無心でファンタジー見られましたありがとう、みたいな。
松田:なんなん2,000円ドブに捨てに行ったん? そんな感じやとおれ今からすごく開陳しちゃうよ。
なつき:笑
松田:2回も観るともうさすがにね、全てがパパーンってつながる感じあったよ。そもそも原作というかさ、『君たちはどう生きるか』の本の方は読んだ?
なつき:漫画版は目を通してます。
吉野源三郎原作・羽賀翔一画『漫画 君たちはどう生きるか』マガジンハウス
松田:ねえ、『君たちはどう生きるか』は岩波文庫の噛ませ犬やねんで、その辺分かってんの?
なつき:すみませんね笑 原作は難しいのかなって思って。
松田:なわけない、パラパラ見たら分かるでしょ。2時間もあれば全部通して読めるよ。
なつき:でもあれだよね、漫画版も内容はほぼ一緒だよね?
松田:読んでへんから知らんて。
なつき:漫画版を読んでの原作の理解は、コペル少年が社会はどう動いていてそこで自分はどういう位置付けで生きていくのかを理解する話で、彼の理解では社会は様々な連関の上に成り立っていて、その中で自分が果たすべき役割を果たすことが大事だってことだと思ったんだけど…
漫画でもいいじゃん
松田:うん…まあそういう内容やったわ。おれ映画観終わって「最高じゃん」みたいな気持ちになって、すぐにもう一回読み直したからめっちゃ覚えてる。そういう話やった。
なつき:うんうん笑
松田:自分にとって印象的やったのはね、最初にデパートの上から街を見下ろしているシーンがあったやん。デパートの屋上から街を見るとたくさんの屋根があって、そこで彼は気づくねん。「めっちゃ人おるやん」って。
なつき:はいはい。
松田:まあそういう感覚って自分らも知ってると思うねん、今ならスカイツリーからはるかに多くの屋根を見ることもできるしな。なんしかここで、世界には自分以外の多くの主体がおるっぽいことをコペル君は発見するわけ。
なつき:はいはい。
松田:ここでおもしろいのがさ、そうやってデパートの屋上から下を見ていると、自分たちがさっき通っていた道をそそっかしく走っていく小僧を発見するやん。ほんで彼が自分の用事にかられている様子を見て、「ということは…」と考えるわけ。もしかすると自分たちも、今まさに周囲のビルの窓から見られているかもしれないと。
なつき:うんうん。
松田:そう思って周囲のビルの窓を見るんだけど、光が反射して実際に周囲からも見られているかは分からなかった。でも見られている可能性はあるし、なんであれば彼は、周囲から自分を見ているもう一人の自分をイメージすることができてんな。
なつき:はいはい。
松田:つまり彼は社会を発見すると同時に、その社会の中に自分が部分として存在していることも発見してん。自分以外の多くの主体と、それらによって客体化された自分自身を発見する、これが第一章ね。そこからはまあいろんなエピソードが展開されるやん、それこそ粉ミルクのくだりみたいに、粉ミルクが彼の手元に存在するためには様々な連関のおかげを被っていることに気づくとかね。
なつき:うんうん。
松田:彼は社会を発見し、その中に部分としての自分がいることを発見し、そこには複雑に入り組んだ連関が不可避に存在することも分かってきたと。で、次に展開されるエピソードがあるねんけど、これがすごく印象的やねん。
なつき:うんうん。
松田:なんかな、いつも一緒にいる友達が上級生にいびられてたとき、そいつの味方をして一緒に立ち向かうべきやったのに、それができひんかったって話やねん。覚えてるやろ?
なつき:はい…ちょっとよく覚えていないけど。
「はい」とは
松田:ここで彼は…社会の中に部分として存在する、その自分のエゴを発見するねん。
なつき:ああ、はいはい。
松田:自分の友達が上級生にいびられていたのに対して、いつもつるんでる友達らは自分以外全員がそれに立ち向かってん。でもコペル君はそれができなかった。「こいつの連れ他にもおるんかい」って言われて、そこで手を挙げることができひんかってん。
なつき:うん。
松田:要は彼は、言ってしまえば自分かわいさにびびってもうてん。なんであれば事前に「いびられるときは結束して立ち向かおうな」って約束していたにもかかわらずな。
なつき:うんうん。
松田:そのあとはコペル君、どうして自分は前に出て行けなかったのかと、それはもうえらいバッドに入ってだいぶ長いこと学校を休んでまうねん。そのお休みの間も、もうどうしようどうしよう、いっそ死ねるのであれば死んでまいたい、そうしたらあいつらも分かってくれるだろうと。そこまで思い詰めてまう。で…かしこのおじさんおったやろ?
なつき:導き役のおじさんだよね。
松田:そう、そのおじさんにコペル君は相談するねん。そうしたらおじさんは、今すぐに謝罪の手紙を書けと言うわけ。まあそらそうやん。
なつき:はいはい。
松田:「でもそうしたら許してくれるかな? 」「それは分からへん、でも書け」と。そこでコペル君、許してくれるんか分からへんのなら書きたくないって言うねん。
なつき:うんうん。
松田:ここでなおコペル君にはエゴが、残滓というにはまだまだべっとりとこべりついてるねん。このエゴは、みんなとよろしくやっている社会にそのままで持ち出せはしない、偏狭で一般化されていない、彼なりのしかし彼のみにとってのリアリティやねん。
なつき:うん。
松田:ここでおじさん「そらあかんで」って、初めてきついことを言うてんな。なるほどコペル君、彼なりに分かるところもあったらしく、ようやく手紙を書きました。
セリフを大阪弁で再現するせいで新喜劇みたいになってるのなんとかならん?
なつき:うんうん。
松田:ここでのコペル君は、既に発見していた社会に加え、ときにそれと矛盾するエゴを新たに発見し、その対立を乗り越えて社会に接続していくことを知ってん。
なつき:うんうん。
松田:すごいやろ、これだけでもう泣けるもんな。ほんでまあ…なんやかやあって「君たちはどう生きるか」の決め台詞があってフィニッシュですわ。「僕もそう生きます」って心の中で言うたよね。
なつき:なるほどね。
松田:ここでおれが思うに、原作の旨みとしてまずは社会そのものと自分もそこにいるんだという発見があるんだけど、それに加えて、その社会に参加するには相応のやり方を知らなあかんという教訓があると思うねん。
なつき:うんうん。
松田:なぜなら我々にはエゴがある、これを社会にそのまま持ち出すわけには当然いかない。下手をするとそれに埋没してまいそうにもなるなかで、その対立を超えて…自分自身を誠実に提案していかなあかんねん。てめえかわいさをそのままに社会に出てくんなと。
なつき:はい。
はい
松田:ところでさ、映画において本が出てきたのってまじであの一瞬だけやったやん?
なつき:そうだね笑
松田:でもおれはね、まひとくんがエゴを超克して、世界に積極的に交渉していくまでの過程があの映画ではすごくよく描かれていると思ったし、そういう意味において『君たちはどう生きるか』を原作としていることにはすごく納得がいってんな。
なつき:うんうん。
松田:だって物語の前半、あの冒険に踏み出すまでのまひとくんってもう超エゴの塊やったと思うねん。おれはああいうやつ嫌いやで、子供やからええけど。
自分の今の友達には要らないです
なつき:はいはい。
松田:まずは周囲とのコミュニケーション、なんかすごく棒読みな感じがあったやん。コミュニケーションに対して消極的な、周囲に期待を抱くことをしない感じ? 最初から参加しないことで不戦勝になるとでも思ってんのかと言いたい。
なつき:はいはい。
松田:あとは「お口に合わないかもね」っておばあちゃんに言われて、平気で「おいしくない」って言う感じとか。
なつき:うんうん。
松田:なにより自分の頭を石で殴って出血するあのくだりな。まあ確かに分かるっちゃ分かる、ああやって自分で転んだことにしたいっていうその動機はな。ただ…にしては程度が甚だしい気もするやん?
なつき:まあちょっと引いちゃうよね。
松田:なんやったらそんなことせんでも、単にこけたって言えばそれだけでよかったやん。でも彼はあそこまでして、絶対に社会との交渉を持ちたくはなかったわけやん。
なつき:まあ自分の世界を守るというかね。
松田:そうそう。もう全部おれだけのことやから、頼むから放っておいてくれと。どうせ分かりっこないし、分かってほしいとも思っていない、そういう態度が強烈ににじんでいたと思うねん。
なつき:はいはい。
松田:だから世界を突っぱねるようなことばっかりしててん。お母さんのお見舞いもそっけないしな。そうやって、社会に対しての責任を引き受けようとしていない感じやってん。
なつき:うんうん。
松田:それがあっちの世界への冒険に踏み出して、少しずつ変わりだすわけやん。あの…おばあちゃんの名前なんやったっけ、若かりし頃の姿で出てきた人。
なつき:きりこさんかな。
松田:ああ、そうそう。あのきりこさんのところでさ、小さいおばあちゃんずに囲まれて「心配かけてごめんね」みたいなことを言うてたと思うねん。そこで彼は、周囲の世界に興味を持ち始めているというか、自分とは違う視座が存在していることを気にかけるようになっている気がするねん。
なつき:まあ確かに。心細いけど誰かが見ていてくれるっていう感覚があったってことだよね。
松田:うん…いや心細い云々じゃなくてさ、自分のエゴから離れたところに彼を見ている視座があるって感じのことが言いたい。つまり自分という存在が相対化されてんねん。
なつき:ああ…
松田:それまでのまひとくんからしたら、別に他人が心配してるとかどうでもいいわけ。すごく偏狭な意味での自分っていうのが世界の中心やってんな。しかしここにきて彼は、それ以外の世界の中心、自分自身とは違う主体を想定できるようになっているわけ。
なつき:はいはい。
松田:あるいはそのシーンと前後して、なんか可愛いやつがペリカンに食われるシーンがあったやん? てかあのシーンめっちゃ眠なってんけどなんやったんやろ…
なつき:うんうん。
ギャルソンにおけるプレイと同じ役回りのこれ
松田:あのペリカンは、理由はともかくあの可愛いやつを食うしかないっぽくて、そんなペリカンをまひとくんは埋葬してあげたわけやん。そこでも彼は、自分のそれとは全く違う事情に立脚している主体を、これもまたなんとなく理解し始めていたわけ。
なつき:うんうん。
松田:そしてなによりその後、岩の中でなつこさんに会うシーンがあるやん。そこでなつこさんが…これまでの世界ではあんなに優しかったなつこさんが「あなたなんて大嫌い」みたいに言うわけやん。まあそらそうよ、連れ子なんて素面で愛せるわけないやん。
なつき:うん。
松田:でも社会的な存在としての人間は、それを超えてよろしくやることができるねん。そこでまひとくんはようやく分かるわけ。自分のエゴと全く同じだけの強度のエゴをそれぞれが持っていて…そこで気づいた彼は、間髪入れずに「お母さん」って言うたやろ?
あるいはメール冒頭の「お疲れさまです」にも近似できる。別に誰も疲れてねーから
なつき:うんうん。
松田:この瞬間に彼は、自分のエゴを離れて社会に一歩を踏み出してん。ここで言う社会っていうのは、他人同士が協調し合って、同じ世界観を共有しようとしているその集団のことね。そういうコンテクストにおいては、なつこさんは彼を血のつながった息子のように愛しているし、彼にとってもなつこさんがお母さんなわけ。
なつき:はいはい。
松田:まあそこからも冒険は続くわけやけど、なんしか彼はここで理解したんやね。もうここで既に大感動やん、まひとはほんまによくやってる。よくお母さんと言った、ほんまにえらいよ。
社会に参加するにあたっては、偏狭な意味での自分自身に執着するのはもちろんのこと、私だけが疎外されたn-1人からなる全体に奉仕するのもとんだ大間違いです。私という不可避な条件を受け入れ、そのガラス越しに見える社会全体に関わっていく度胸を持つこと、そして私という部分が、自分も含めた社会という全体に1ミリのずれもなく即オーバーレイしていく感覚を養うことが肝要です。
2023年8月5日
喫茶室ルノアール 西日暮里第一店