青山:なんかさ、バレンシアガのクチュールコレクションあるじゃん。
松田:そんなんあるんや、おれあんま分かってへんかも。
開始2秒で一生しないスタイル出てきてわらう
青山:パリの本店だと採寸して作ってくれる、クチュールのコレクションが発表されていて。で、オートクチュールとは言っているが、もちろんドレスとかもあるんだけど普通にフーディーとかデニムとかもやってますみたいな。
松田:あ、そこはバレンシアガなんやね。
青山:まあそういう、いつものバレンシアガのやつがあるんだけど。で、このあいだのクチュールのコレクションでよくあるメタルTみたいなのが出てて。
松田:はいはい。
青山:そのプリントをオイルペインターが全部手書きしています、みたいな感じの。
松田:おお…すごいな。
青山:まあそれはさ、労力を投じること自体がモードであるみたいなことは言い得るし分かりますという感じなんだが、受け手側の感覚としてそれを説明するときに「一枚のTシャツに何十時間かけています」みたいな、だから一枚何百万円とかするんですよみたいな話をされると、その論理はおかしくないかみたいな気持ちにも同時になって。
松田:うん、そうやんな。
「いきます? いっときます? 」の接客の方が信用できる説
青山:例えば同じように何十時間かけて描いた絵だと…つまりそのオイルペインターだってさ、別に当世最高峰の作品を描いているわけではないわけで。
松田:そうやんね。
青山:ってなったときに、名前も知らないオイルペインターが描いた油絵一枚なんて数万円とかで買えるわけで、そこに価値の根拠はないんだが…
松田:うんうん。
青山:でも消費者の目線から話そうとすると、どうしてそういう説明になってしまって、そこに価値があるかのように受け手側は思ってしまうみたいな。なんかそれは純粋ではないなって。
松田:まあむずいな、説明しようとするとそうなっちゃうよな。ただそういう話を抜きにしたとき、自分は結構買っちゃうタイプな気がする。
青山:うんうん。
松田:で、そのことを誰にも話さずに…かつそれを買うくらいの経済的な余裕があるのであれば、暖炉とでかいソファくらいは同時に仮定してもフェアやと思うねんけど、そこでズブズブって座って、明らかに資源を無駄にしていることに耽溺するというか。
青山:うんうん。
松田:つまり北京ダックを食べるときと同じ気持ちになる気がするな。いわゆる無駄な贅沢をしているという感覚を味わうために買って着る気がするし、それはそれとして健全な気もする。
青山:うん。
松田:だって北京ダックなんてさ、やったらあかんことしている感じに並走されながら楽しむものやと思うし、かつこの罪悪感って通り過ぎていくというよりは積み上がるものやから、毎日北京ダック食べるのってできひんやん。おれならどこかでバッドに入るよ。
青山:うん。
松田:だからそのバレンシアガのTシャツも、そういうものとしてであれば楽しめる気がする。そういうものだからこそ人には言えないし、まあ店頭で十分に正当な感じで消費者にアピールされている様子は想像が難しい。
脱法生レバーと同じ、てめえのケツを拭けるタイプの客にだけ裏で出すこと
青山:うんうん。
松田:だって言ったら軽蔑されるし、その軽蔑もまあ妥当やん。なんだけど…個人的な体験としては否めないものがあるっていうね。まあ分からんな、あくまでもおれは北京ダックとかホテルのドアマンみたいなものが死ぬほど嫌いという立場やねんけど、それに1mmも共感できずに、はなから気分よくなれるやつだってなんぼでもおるやろうし。
青山:まあそうだよね。
松田:でも個人的には魅力を感じないでもない…てかさ、話しながら思ったけど自分がインディアンジュエリーを楽しむときの気持ちはそれに近いものがあるかもしれない。
青山:はいはい。
松田:インディアンジュエリーって作るのに時間かかるし、歩留まりも悪いし、スタンプがうまく入るかちょっとずれるかの差で駄作と秀作が分かれてまうし、そういうしょうもないコストの掛け方をしている気がするねんな。
青山:うん。
松田:だからそれを身に着けて楽しむことの正当性みたいなのはかなり怪しい。確かにインディアンジュエリー勢はクロムハーツのことをたい焼きっていうねんけど、まあ定価があほほど高いことはさておき、たい焼きの方が全然健康なんじゃないかとか思ったりもするわけで。
青山:うんうん。
ひとつの型から同じものを大量に生産できるのでそう呼ばれています。実際のところ、例えばいま僕が着けているクロムハーツのダガーハートリングであれば、そのまま店頭に並べられるところまで工場に仕上げてもらっても地金代金と加工代金込みで10,000円あれば作ることができます。
松田:でも、それでもおれはインディアンジュエリーは好きやねん。それに対して不可避な罪悪感…まあ罪悪感に限らずやねんけど、完全に観念的なものではないからこそどこかで限界がくるような、そういう無駄遣いは最近ちょっと否めないなと思っている。
青山:うんうん。
松田:でもさ、そのメタルTほんまに何百万円もすんの?
青山:うん。正確にはそのメタルT自体の価格はまだ出ていない気もするが、バレンシアガのクチュールラインで他に買えるやつが公式サイトにいくつか出ていて、デニムジャケットが500万円ですよとか、数千万円のものもありますよみたいな世界観だから。
松田:すごいな。
青山:だからそんなもんだと思う。
30,000 €らしい
松田:でもそうか、今やと物を選べば200-300万円のTシャツだってあるくらいやから、少なくともそれを超えてこないとポジションは取れないよね。
青山:ダブレットがずっと出してるさ、もこもこのオーバーオールみたいなのがあって、それはシーズンごとに描かれている絵柄が違うんだけど。
松田:うんうん。
青山:それとかは普通に吹き付けると毛足が長くて根元まで着色されないから、だから一着ずつ京都の職人が描いてますみたいなことを、店とかに行くと説明される笑
松田:そういうのってまじで全部そう、「ということを店とかでは説明される」って感じやんな。
青山:なんかダブレットとかそれこそアルチザン系とかは、そういう労力をどちらかというとクラフツマンシップの方に引きつけていってる、それの顕著な例がロエベとか。
アルチザン系の定義は「なんか魔法使えそう」、豆知識です
松田:はいはい。
青山:あそこらへんはデザイナーが普通に工芸が好きみたいなのがあるからなんだろうけど。でもバレンシアガのそれって、蕩尽つまり無駄遣いというか、ある種の交換可能性をどこかに残しているところがモードだよなみたいなことは思う。
松田:確かにね。
青山:それはバレンシアガの服を見るたびに思う。あれってもっとも良いダメージの入り方で、もっとも良いプロポーションで、もっとも良い…感じのグラフィックが入っている、あくまで世間一般にはよくある服を提案していますってことだし。
松田:はいはい。
青山:だから無限の時間とネットワークが存在すれば、バレンシアガ同じかそれ以上のものを発見することが可能…であると誰でもすぐに想像可能だっていう、その状況でなおそれを買うことで、なんの質量もないブランドが逆説的に現像されているみたいな。
松田:はいはい。
青山:その感覚があるから、当初はやっぱり本心からそれを信じる気持ちにはなれないかもしれない、みたいなところに対して躊躇のようなものがあったけど、最近はむしろそれが好ましいのではないかみたいなことを思っているっていう。
松田:確かにね、そう聞くと普通に欲しくなってきたな。
青山:僕も最近バレンシアガが欲しいみたいな気持ちはある。
松田:でもバレンシアガってなんぼすんの…てかそうか、パンツだけやと裾擦るから靴も一緒に買わなあかんのか。
青山:そうね、まあ擦るっていう選択もある。
松田:なるほど。
青山:最近はもうデニムだと20万円からって感じで、前に14万円のデニムが発売されたときは安いって話題になってた。
無限の時間とネットワークの半分くらいがあれば見つかりそう
松田:でも難しいな、今みたいな文脈において理解する場合むしろ中途半端な価格やと何やってるか分からなくなるから、確かに20万円くらいの方が気持ち良いんかもね。
2024年10月11日
Aux Bacchanales 紀尾井町